農業を通して患者自立をめざす 【精神病院経営探訪】その④


医療法人左右会 (鹿児島県曽於郡)
 医療法人左右会の拠点である鹿児島県曽於郡は、大隈半島の志布志湾に面しており古くは島津藩の密貿易港として、戦前は海軍基地として栄えていたが、いまはそんな面影はみじんもなく、緑に囲まれた静かで美しく豊かな土地である。同法人は、1957年に創業者・藤後惣兵衛氏(前理事長)が藤後病院(54床・内科)を設立、さらに58年には芳春苑(124床・精神科)を開設したことに始する。左右会という 変わった名称は、藤後氏が、”大波のどんと打つなり松露掻き”など多くの詩を残した俳人としても高名であり、号を藤後左右と称していたことから由来している。現在 、二代目である橋口伸夫(現理事長)が後を継ぎ、医療分野のみならず保健、福祉へと拡大・発展し、今日に至っている。同法人の経営姿勢は先代の藤後氏から今日まで、患者様や地域の人たちが何をして欲しいのかということに常に素直にかつ敏感に受け止め、行政と二人三脚で対応することをモットーとしており、以下の四つの理念を基本としている。

  1. 常に患者様の人権を尊重し、患者様の立場に立った医療介護を実践すること
  2. 医療と福祉の架け橋となり、在宅医療の推進を積極的に実践すること
  3. 各々の職場で最高の奉仕ができるよう自己研鑽に努め、出来る限り研修の機会を持ち、自分の職業にプライドを持つこと
  4. 職員すべてが「和」を大切にし「誠実」「笑顔」「優しさ」を銘記すること


その結果、前述のように医療・保健・福祉と、あらゆる患者のニーズに応えるために現在の体制が整った。

■患者本位の在宅復帰支援体制が完備

 同法人の中心的な病院、藤後病院と芳春苑は1キロ程度離れたところに存在し、地域医療を補完し合う関係となっている。両施設は収益面でも同程度であり、芳春苑に至っては外来60人/日、デイケア23人/日で、今次診療報酬改定の影響はほとんど受けていないという。平均在院日数は法人全体で50日程度で、年々短縮化されてきている。その大きな要因として、早期に家庭復帰を進めるための老人保健施設、さらに患者の在宅支援を行う在宅総合ケアセンター、帰る家のない人に対するグループホーム、ケアハウス、精神共同住宅など、盤石なアフターフォローが挙げられる。そしてそれらの支援体制をさらに有効なものにしているのが、生活訓練施設や精神科訪問看護の存在である。また、それらすべてが、地域に開かれた施設としてのイメージを持ってもらうため、色彩も明るく、デザインも奇をてらうことなく作られている。インテリアやアメニティーも重視されており、ベッドごとに窓を設けることで、精神的にとかく落ち込みがちな患者に解放感をもってもらう工夫もなされている。それでも建築コストはかなり抑えられており、その分、職員研修などの教育面の拡充がなされているという。

■農業法人「もっこく」で地域貢献も果たす

患者本位の地域密着型病院を展開する橋口氏が、愛して止まないのが農業だという同法人では、農業と医療を有機的に絡ませることで、社会や患者の家庭復帰に役立つ農業法人「もっこく」を実験的に設立。職員や患者が農業や酪農を行うことで、アニマルセラピー、生活訓練と経済活動による生活の自立、社会貢献が実現されつつあるという。農業は完全無農薬で、化学肥料を排除した有機肥料や餌を使用し、畑九反(果物、野菜の栽培)、山羊2頭(乳と肉)、七面鳥十六羽、鳥骨鶏20羽と、かなり大規模なもの。現在、生産されたものの大半がグループ内で食されているが、近い将来は地域、さらには県外にも出荷できる目処が立ってきている。収支面も順調に伸びており、来期からは黒字化が確実視されている。こういった積極的な取り組みにより患者、家族、地域の人たちと正面から向き合ってきたことで、いまでは地域の方から大いに評価される病院となり、職員にとっても「不安
のある人は何でも相談してほしい」という自信につながっている。同病院の地域戦略はいまだ尽きることなく 、「今後は精神科と一般病床が別々な存在から有機的に絡み合う関係を構築し、すべての人に、普通で当たり前の生活をおくってもらうことのできる環境をつくっていきたい。」と橋口氏。充実した施設を持っていながらも、いまだ理想の病院を求め邁進する同法人の今後に期待したい。

(この記事は2002年8月号の「フェイズ・スリー」に掲載されました。)